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亡き父とのその後

  • 2011/08/17(水) 23:43:22

盆が終わりました。去年の10月末に父を亡くした私たちにとっては新盆でした。自分たちも親戚周りは例年通りしなくてはならないし、でもお客様も迎えなくちゃいけないしで、結構ハードなお盆期間でした。

お盆期間中には亡くなった人たちが帰ってくると言われていて、我が父もそうなのかと初めて馬と牛の人形を作って待ちましたが、ところが、我が家ではまだ納骨が済んでおらず、父の骨壺は仏壇に置いてあり、そういう場合って帰ってくるとかお迎えという状況ではないんだそうです。常にそこら辺にいるってこと? ちなみに、納骨は1周忌の時に行う予定にしています。


もね、実は不思議なことがあったんです。
12日の夜中、正確に言うと13日に日付が変わった0:15頃のことでした。私は実家の台所で洗い物をしていました。その時に私の背後で足音が3歩分はっきりと聞こえたんです。既に寝ていた母が私の洗い物の音で目覚めて台所にまで様子を見に来たんだと、私は思いました。その時は振り向かなかったんだけど、その起きてきたと思った母が全然声をかけてこないので、3分後ぐらいに母の様子を寝室に見に行きました。母は天下太平に熟睡していました。3分ほど前に起きてきた状態ではありません。

いや、でも私はちゃんと足音聞いたよ!!
寝室の手前にある仏間の戸が少し開いていましたけど、私はそこを覗く勇気がありませんでした。

翌朝その話を母にしました。母は「お父さんだわ」と言います。でも、父の足音にしては小さいというか、少なくとも私の記憶にある父の足音ではなかったんです。母はそれでも「お父さんも最後は弱々しいというか優しい歩き方をしていたもの」と言います。

私を訪ねてきてくれるとすると、私を溺愛してくれた祖母も候補になりますが、う~ん、この祖母の足音とも違うんですね。一体誰だったんでしょうか。


う1つ不思議な体験を実はしています。
私は普段はというかこれまではこういった経験は皆無でした。誰かが亡くなった時に「ちょうど亡くなった頃私の前に現れてね」なんて話が通夜の席などでたまに聞かれますが、私はいつも「ふ~ん」と聞く側でした。霊感なんてものは全く無関係だと思っていました。

その不思議体験は、父の四十九日の時でした。
四十九日は平たく言えばこっちの世界からあの世へ行ってしまう日で、それまでは死者の霊魂はまだこちら側でさまよっているようです。残された者からすると、亡き父はまだ近くにいて四十九日を終えるといよいよ本当にお別れだという気持ちになります。

その四十九日の当日になったばかりの夜中でした。法要はお坊様の事情などでその前の週末に終えていましたので、本当の四十九日には千葉の自宅に私は戻っていました。

父が「おい」ってはっきりと私を呼んだんです。寝ていた私は思わず「お父さんっ?!」って飛び起きました。でも何も見えないし、その後は何も聞こえませんでした。となりで夫も熟睡しています。

でもあの声は本当にお父さんだった。あっちの世界に行ってしまう前に最後に来てくれたんだと思いました。泣きながらもう一度布団に入り、「お父さんのバカバカ。お母さんを一人残して!」って頭の中で叫んでいたら、そうしたらば、「おまえとK(弟の名前)がいる」と父が答えるのです。

「それにしたってこんなの私は認められないよ!」って怒ったら、「おまえは俺の娘だ」と一言。

「じゃあ、子供たちはどうなるのよ。じいじを大好きだった太郎は?」 「あいつは賢い」

「一番心配していた次郎は? ちゃんと成長を見届けなければいけない次郎は?!」 
「・・・(無言)」

父との会話はこれで終わりました。なぜかこれ以降は続きませんでした。


部私の頭の中での会話(交信?)で、私が勝手に作り出した話とも言えるのでしょうが、私自身では自分で何かを考えていたというより、本当に父の心を感じていたのです。

父の言葉全てが短く象徴的であることも、向こうの世界に行ってしまわなければならない父の時間のなさを示しているように思えたのです。

父が無言でしか答えられなかった次男の次郎のこと。
ハンディキャップを背負って生まれてきた彼を父は本当に心配していました。次男を愛する人全ては、彼を大いに愛し、同時に彼がこれから体験するであろう決して楽しいことばかりでない将来を案じていますが、その案じ方にもいろいろあるようです。

私たち夫婦や母、夫の母もこちらの側だと思いますが、あるがままを受け入れ、苦難は勿論あるだろうけれど、それらをどのようにして一緒に乗り越えていくか、もしくは次男が自分で乗り越えられる力をどのように彼につけてあげられるだろうかと思案するタイプ。

父はといえば、まず彼のその生い立ちをとにもかくも可哀想と感じてしまうようです。弟のところに次郎と同じ年の女の子がいて、父はそのいとこ同士(父にとっては二人とも孫)を一緒に連れて歩くと、次男の不憫さが際だつので一緒に連れて歩くことがつらいと母に漏らしたことがあったそうです。

「何をそんなセンチメンタルなことを言っているの! そんな感傷で次郎は育てられないよ!」と私は当時憤慨しましたが、それが父なりの優しさであり案じ方だったのでしょう。次男の病気は骨がなかなか伸びないものなので、父は「この足の骨を次郎にあげることができたらなあ」と何度話していたことでしょう。

そんな父でしたので、こと次男に関しては答えようがなく、長男と同じように賢い(あるいは彼以上かもしれない)次男を自慢に思いつつも、それ故ますます不憫さと心配が募って無言になったのだと思います。

そんなこんなを考え合わせると、私は本当に父と会話できたんだと思ってしまうわけです。

母はといえば・・・。その日は弟は事務手続きなどで母と新潟にいました。
「お骨もあるし、私もK(弟)もいる新潟に出てこないで、どうして遠い千葉に行くわけ?」と母は怒っていました。ホント、なぜでしょうねぇ。

追記です(8/18)。
実はこの出来事の数時間後に、長男が父に起こされているんです。「おい、もう起きろ」ってじいじに言われたんですって。長男ははっと目が覚めたけど、誰もいなかった・・・って。


年は震災で本当に多くの命が失われました。そして残された多くの方々が私たち家族と同じように、もしくはそれ以上にもっと切実に、逝ってしまった愛する人たちとの再会をどのような形であれ切望していたのだろうと想像すると、胸が苦しくなります。皆様に時間がかかっても、少しずつでもいいので心の平安が訪れますようにと、心の底からお祈りしています。

本当に多くの方たちにとって特別なお盆となりました。



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