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空手の国際試合のお手伝い =仕事?編=

  • 2013/02/03(日) 21:08:01

ょっと前の話です。1月20日(日)に空手の国際試合が行われました。長男が通っている道場の先生が中心となって準備をされていて、私も通訳としてその試合前後のお手伝いをしました。「これこれしかじかの大会を予定しています」という告知があった時に、図々しくも「英検と独検の準1級を持っていますが・・・」と手を挙げたのでした。

出場選手の国籍は、アルゼンチン、アルメニア、ウクライナ、オランダ、カザフスタン、スペイン、トルコ、ノルウェー、フランス、ポーランド、ロシア、そして日本というなかなかに盛大な大会でした。10年以上に及ぶ海外生活を経て日本に戻ってきたのが6年ほど前。帰国以来、こんなにたくさんの外国人を間近に見るのは初めてかもしれません。

第1回 KWF ワールドカップ 選手整列


わゆる「通訳」という仕事はしたことがありません。知人同士の間に立って意思疎通のお手伝いをしたことはありますが、到底「通訳」と名付けられるものではありませんでした。なので、今回も私のお手伝い業務に対して「通訳」と名前を付けられると、すごいプレッシャーでした。

そして、実際に先生と海外からの師範たちの「通訳」は大変でした! 日常生活レベルでは日本語から外国語への変換の場合、自分の言いたいことは英語なりドイツ語でほぼ問題なく言えるんです。ドンピシャの単語が思い付かなくても、「ほら、こんな感じのあれ」みたいにして説明調で伝えることもできますよね。でもこの説明調の訳って格好悪いし、時間もかかります。なるべくドンピシャの単語を探そうと頭をフル回転。そして、第3者って何を話し出すか全然想像がつかないじゃないですか(って当たり前のことですが)。この突然の日本語を外国語に瞬時に直すって結構大変な作業だと、今更ながら実感しました。

で、外国語から日本語への通訳。その人の話す英語などに慣れるとだいたいスムーズに行くのですが、慣れるまではやっぱりちょっと大変。今回は幸いなことに「私には慣れない英語」を話す方はいなくて、比較的楽にできましたが、最初は何回か聞き直してしまいました。人によっては嫌な顔をされることも。

それからこれは私の語学力の問題ではなく、背景が分からないと訳しづらいということも実感しました。空手の会派がたくさんあって、その名前がわーっと出てくるのですが、これまでの私にとっては会派云々は全然興味のないテーマでしたので、その名前とかがスムーズに頭に入ってこないのです。また、事前準備も全く手伝ってこなかったので、大会以前の出来事あるいは運営についての話が話題に出てくると、時々言葉が詰まることがありました。


んな「通訳」としての不出来を痛感しながらも、はい、おばさん故の図々しさを発揮して、開き直りつつ楽しんでもいました。一番最初の仕事は、オランダとスペインからの師範たちを成田空港まで先生ご夫妻とお迎えに上がるというものでした。空手に興味のない私は存じ上げませんでしたが、よくよく調べてみると、いらした師範のお一人はこの空手界では「伝説の人」的な方のようで、そんな方にお会いできるなんて役得です。その後も先生に付いてまわって他の師範方との挨拶の通訳をさせてもらい、その空手界では重鎮とされる師範たちに直にお目に掛かれたわけです。

試合当日は「通訳」としての私の出番はほとんどありませんでした。大学生が通訳も兼ねてのお手伝いで数名来てくれていましたし、試合本番での通訳って外国人審判団にあれこれ話すことも例えばあったのですが、私は元々この空手という競技に疎いので、そんなところに首を突っ込むわけにはいきません。適任の他の方にお任せしていました。来年からはもう少しお手伝いできるように空手のことも知っておかないとダメですね。


た、英語は万能語でないことを知りました。1999〜2000年に暮らした当時のウズベキスタンはソ連邦が崩壊して、独立して間もない国でした。そんな国で英語が全くと言っていいほど通じないことはある意味当然でした。しかし、さすがにソ連がなくなって20年以上経つ現在、旧ソ連邦の国々では英語の学習も広まっているのではと勝手に想像していたのですが・・・。

今回参加していた旧共産圏の国の人たちはほとんど英語を解しませんでした。「え、まだロシア語が強いんだ」と再確認。まあね、ロシアも一時はひどい状況でしたが、今は強国ですから。周りの国にとってはやはりロシア語は必要なのでしょう。それにしても英語の必要性は感じないのかな?

ウズベキスタンに暮らしていた時に1年間ロシア語を勉強しました。ドイツ語と共通する部分もあり、私にとっては好きな言語でした。が、あれから13年。全然話す機会がありませんから、すっかり忘れていました。ところが、今回ロシア語通訳の女性と一緒にいる間に、まるでシャワーのようにロシア語を傍らで浴びていましたら、少しずつ単語や文章が甦ってきたんです。意味は覚えていないけれど、ロシア語でだけ話せるフレーズとか。

となると、使いたくなるではありませんか。よせばいいのに、「こんにちは」「ありがとう」「あそこにお店があります」などなどほとんど役に立たないフレーズを試していたんです。そうしたら、カザフスタンの師範や選手たちがロシア語でガーッと話しかけてくるくる。今度は「ニェ・パニマーユ(理解できません)」の連発。だったらロシア語を話すなよ!ってことですね。(それでもカザフスタンの師範なんかは「いや、君は少しは分かっている」とロシア語でいろいろと質問してくるのでした。)

選手団の半数近くはロシア語圏でした。それに対して通訳が1名だったので、ロシア語通訳の方は毎日が疲労困憊。来年は私もお手伝いできるようになりたいなと野望を抱き(恐らくは無理ですが)、NHKのロシア語講座のテキストを買った単純な私です。せめて向こう側の用事の急・不急かぐらいは聞き分けて、それをロシア語通訳の方に持って行く用を果たせればな、と。

フランス、スペイン、アルゼンチンとラテン語系の人たちも多数。スペイン語圏のアルゼンチンの人たちに知っているイタリア語で話す間抜けな私。でも通じたし。このアルゼンチンからの3人組は40時間もかけて千葉に到着の後、ホテルにチェックインするとすぐに「代官山に行く」と言うのです。「代官山にショッピングでも?」とそういう雰囲気の持ち主ではない3人組を前に訝しく思っていたら、代官山にあるムエタイジムにトレーニングに行くのだそうです。40時間の旅の後、休まずにムエタイジム?! なんてすごいの!

↓ いかつい顔のいかにも格闘技系のアルゼンチンチーム。真ん中の師範はマスターズクラス(35歳以上)で3位入賞となりました。
アルゼンチンチーム
私事ながら、向かって左側の人は選手ではなくマネージャーとして来ていたのですが、彼が物静かで空手関係者というよりは神学生の雰囲気を漂わせていました。最初のドイツ語学留学で友達だったスペイン人を思い出しました。たつ、Manuel だよ、確か。覚えている?

彼らとの意思疎通に四苦八苦していると、やはりスペイン語も必要だなあと思うのです。でもね、スペイン語は夫が少しできるんですね。夫婦で合わせて地球上の言葉を網羅できればいいと思っているので、となると、私はやはり別の言語かな、とも思ってみたり。言葉ってつくづく大変なんですが、おもしろいと実感した日々でした。





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空手の国際試合のお手伝い =仕事以外編=

  • 2013/02/08(金) 22:33:07

手の国際試合での体験記の続きです。身も心も房総の田舎のおばちゃんになっている私にとって、久しぶりに「外国」を感じる出来事だったので、インパクト大きいんです。詳しく語ってしまいます


回初めて生で格闘技を見ました! いや、これまでも子供の試合についていった先で、子供の試合だけでなく高校生だとか大人の試合もチラッとは見ていたんです。が、今回は外国人の大男が勢揃いということもあり、迫力がまるで違ったんです。

これまでは格闘技好きの人が熱く語るのを見ていても、「ふ〜ん」って感じでしたが、今回は間近で見ていて私のアドレナリンはずっと体中を駆け回りっ放しでした。170センチ程の日本人選手が190はあるであろうオランダ人の選手と互角に戦っている様にはとても勇気をもらいました。うちの長男はちびなので、いつも頭に蹴りをもらって負けているのです。この日本人選手も肩の部分に肘落としという技を大男の相手選手から喰らうんですが、それをギリギリのところでかわしているんでしょうね。技ありにさせませんものね。すごいよ!

応援にもお国柄が出ていました。目立っていたのはロシア語圏に共通する、試合の残り時間が20秒となると、試合のコート脇にいるセコンド&応援団が、おもむろにコートを手のひらでリズムを取りながら叩いて、それに合わせて咆哮するというか「ホウホウホウ!」と叫ぶ様子。最初はカザフスタンの選手の試合の時に見たのですが、ロシアチームも然り、アルメニアもこの手でバンバン&雄叫び?でした。この咆哮により戦っている選手も最後の力を出し切るエネルギーを受け取っているように、私には見えました。

試合の後はホテル内のレストランにてさよならパーティーでした。先生は「今ひとつ盛り上がらないなあ」とこぼしていましたが、その最大の要因は音楽がなかったことと私は推察しております。事実、その後の二次会は音楽付きでえらい盛り上がりようでした(後で詳しく♪)。

↓ 国際試合も成功裡に終わり、さよならパーティーも終わり、最後は十本突きで締めとなりました。
空手マンによる10本突き
この十本突きが迫力あるんですが、ホテルのロビーでされているので見方によってはちょっと滑稽というか。わたくしつい調子に乗って、椅子の上に立ち上がって写真を撮ってしまいました。他にほとんどお客さんはいなかったのですが、もしこの場に居合わせたとしたらさぞかし驚いたことでしょう。

私にとっても頼まれていた大きな仕事はひとまず完了となります。お疲れ様でした! あ、翌日に幹部師範たちを成田空港に送りにいく仕事はありましたが。


成感と解放感を心地良く感じていると、いつの間にそういう話になっていたのか、スペイン、オランダ、ノルウェーチームが中心街へ繰り出そうとしていました。ノルウェーチームはホテルのチェックインの時にたまたまお手伝いした経緯があったので、顔見知りではあったんです(2日前に出会ったばかりでも「顔見知り」って言うかしら?)。「日本人もいる方が何かと心強いよね。一緒に行かないか」と誘われまして、任務も完了したし(95%だけど)「じゃあ、行きますか!」と、電車でGO!

さはさりながら、もともとアルコールを飲まない上に、9歳と6歳の子供を抱えたおばさんが夜の街を知るはずもありません。が、スペインチームが「大丈夫、知っているところがあるから!」。で、行き着いたところは、Happy Bar という名の地下の狭〜いお店。大丈夫ですかい?

結論としては、まあこのブログを書いているわけですから、何の問題もなく、楽しく過ごしてきました。それにしても、スペインチームはこのバーを一体どのようにして見つけたのでしょうか? ネット? それとも街を歩いていてたまたま? 私にはない嗅覚を持っていることは確かです。


白かったのはスペインチームとノルウェーチームの極端なまでの対比です。オランダチームはスペインチームのノリに十分ついていっていたなあ。で、唐突に思い出しましたが、昔オランダのナショナルデーのパーティーに行ったことがありました。ナショナルカラーであるオレンジ色の洋服を全員が身にまとい、それはそれは賑やかに騒いでいました。うん、あの様子を思い出すと、今回のオランダチームのノリの良さにも納得です。

電車の中ではスペインチームとオランダチームがば馬鹿騒ぎをする中(幸い車両には他に乗客はいませんでしたけどね)、それを苦笑いしながら眺めるノルウェーチームの面々と私。ステレオタイプな分類かもしれませんが、私のこれまでの経験でも、こうして馬鹿騒ぎをするラテン系と、それに乗り切れず周りから見ているだけの北欧系。私もやっぱりあのハイパーなノリにはついていけず、北欧系の隣りでちんまりと座ることが多かったです、今回のように。

ハッピーバーに入ってからは、次から次へとBGMをリクエストしてダンスミュージックを流させるスペインチーム。PSYでしたっけ? カンナムスタイル(Gangnam Style)も流れました。ヨーロッパでもすごく流行ったとかで、みんなPVと同じに一糸乱れず踊る踊る(あ、ここまで来るとノルウェーチームも同じ)。やっぱりなあ、さよならパーティーでもこうした音楽があれば、絶対老若男女問わずに盛り上がっただろうに。実際、私の隣りで強面のノルウェーチームの監督が可愛らしくノっていました♪

さらに佳境に入っていくと、スペインチームのお姉さんとオランダチームの若者が何やら妙にくっついて踊るわけです。おいおい、ノルウェーチームの若者よ、負けずに頑張りなさい。でもね、できないんだよね。ここでもラテン系と北欧系の大きな差が見えて面白い。それにしても、今回のノルウェーチームの若者はお行儀の良い青年たちばかりでした。大抵1人ぐらいは羽目を外す輩がいるものですが。

・・・と、ノルウェーチームのおじさんたちとハゲ談義をしながら、若者たちを観察していました。まあ、大音量でそんなに会話はできないので、筆談も加えつつ。


こからはちょっと自慢めいた話にもなりかねないのですが・・・。
私は今回マスターズクラスで優勝したノルウェー選手(40歳)と禿げについて話をしていたんです。彼がいわばちょっと前髪が上がっていて、私も失礼ながら「何歳から薄くなり始めたの?」なんて単刀直入に訊いていたわけです。「ヨーロッパって若はげが多いよね」などと。彼は昔日本人女性から養毛剤をプレゼントされて、日本では禿げはマイナスポイントであることを学んだとか。面白いと言うか、お可哀想にと言うか、いずれにしろユニークな経験の持ち主でした。

そんなこんなで盛り上がっている時に、彼の生徒でもある若者たちが「"Come on!" って日本語で何と言うんだい?」と訊いてきます。「『おいで』かな」と答えたら、「オイデ、オイデ!」と私をしきりにダンスに誘ってくれるんです。心の中で「君たちは私をいったい何歳だと思っているのかな? う〜ん、この態度だと40を超えているとは思っていないだろうなあ」と苦笑いしつつ、もう一緒に騒ぐしかないよねと「は〜い!」と返事をして、カンナムスタイルに突入です。帰りのタクシーの中でもなぜか車のドリフト走行の話で彼らと盛り上がり、「この話題って普通40過ぎの女性に振るものではないよね?」と自問。

若く見られたいとはそんなに思わないものの(いや勿論、老けて見られるよりはずっとマシですよ)、このノルウェー青年たちの私に対する態度は、ヨーロッパ人から見た日本人は年齢が読めないという点を差し引いても、「なんだかなあ。若く見られたと喜んでいいのかなあ、それとも貫禄がなさ過ぎってこと?」と未だ答えの出ないスパイラルに私を落とし込んだのでした。

↓ ノルウェーチームの面々と。私のお気に入りの写真なんですが、残念ながらピンぼけ。私の隣りが禿げ談義で盛り上がったマスターズチャンピオン。ちょっと頭髪が上がり気味でしょう? その間の後ろに立っている白髪のおじさまが監督。ひどい強面で第一印象も「怖い」だったのですが、それがまあこの2次会ではにこやかなこと。
ノルウェーチームと

こういう写真も人によっては妙にべったりとくっついてきて写る輩もいるのですが、このくっつき過ぎない距離感がノルウェーなのでしょうか。私にはスウェーデン人の友人がいて、彼との比較において確かに「同じスカンジナビアだなあ」と感じることが多くあり(実際、彼らの会話の二言三言がわかって、ノルウェー人に驚かれました)、シンパシー(共感)を感じることが度々でした。


上が、40歳を過ぎて午前様をしたおばさんのはしゃいだ話でした。えっと、中には「ねぇねぇ、十分楽しんだのは分かったけれど、その間子供たちはどうしていたの? 子供の話が全然出てこないけど」と心配して下さっている方もいらっしゃるでしょう。はい、お正月前に新潟から来ていた母がずっと滞在して、主婦業&母親業を私の代わりにこなしてくれていました。大感謝です。

1月はこの「通訳」の仕事以外にいろいろと起こって、目の回りそうな月だったのですが、その間に私の母はいろいろな術を身に付けて、普通の「ばあば」から「スーパーおばあさん」へと変貌を遂げました。その話もいずれしたいなあと思っています。

母には随分と面倒をかけてしまいましたが、私個人にとっては久しぶりに主婦でもなく母でもなく「個」に戻って活動することができたので、開放感を味わいました。「開放感」って書くと、まるで家族に束縛されているみたいですかね? 「束縛」という風には感じていないつもりなんですが、それでもやっぱりなんだかんだと「制約」はつきますよね。でもこれは夫にも当てはまりますし。ま、いずれにしろ、「個」で活動して「外国」を体験し、房総の田舎に暮らしている私にはちょっとしたアドベンチャーでした。そして、こういう機会が巡ってきた時に、ちゃんとその機会を活かせるように、日頃の勉強を大切にしようと新たに決意させてくれる出来事でした。




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