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今日は卵カレー

  • 2011/08/09(火) 23:11:37

たまたインドカレーのネタです。

先週は本物のこだまや(インドカレーのお店)にランチに行ったので、週1のペースで食卓に登場する自宅でのなんちゃってこだまやカレーは作りませんでした。

今日は風もなく本当に暑い日で、珍しく子供たちが「お母さん、どうしてうちにはエアコンないの?」とこぼすほど。いや、エアコンはあるんだけどね・・・。2回もシャワーを浴びて過ごしました。


んな風に昼間を過ごすだけで体力が奪われて、晩ご飯を作る気力も体力もあまり湧かない時こそインドカレー。切るのはタマネギとトマト。あとは卵を半熟に茹でるだけ。簡単でしょう?
↓本日は滋養強壮だとレシピには謳われていた卵カレーです。
卵カレーとラッサム

このカレーにはココナッツミルクが入っていて、ほんのり甘みがあるんです。子供は元々卵が好きだし、そのココナッツミルクの甘みも加わり、子供たちには1番人気のカレーです。インドでは当然のことながら固ゆで卵ですが、ここは日本。半熟卵をくずしながら食べるのがナイス。

スパイスもよくあるカレーとは異なる種類のものを使います。一番よく使われるスパイスはクミン(シードだったりパウダーだったり)ですが、このカレーにはほんの少しのクミンだけで、カルダモン、シナモンスティック、クローブがメインで、爽やかな風味・・・なんだけど、そこにココナッツミルクのこってりも加わり・・・でもトマトの酸味も効いているし・・・となかなかに一筋縄でいかないカレーなんですよ。


カレーの奥に写っているスープは「ラッサム」と言います。本では「インドにおけるみそ汁(のようなもの)」と紹介されています。

前回私が作ったサンバルは、もっと具がたくさんでスープというよりはカレーの部類にはいるものですが、このラッサムにはダル(ひきわり豆)しか具がない本当にシャバシャバとしたスープ。トマトの酸味が強いさっぱりしたスープです。

このラッサムもダルを煮る時間を除けば、ものの10分ほどでできてしまうお手軽さです。ダルは卵カレーの鍋と平行して煮ておいて、卵カレーの仕上げの時にラッサムを作るようにすれば、調理時間が無駄になりません。今日は30分ちょっとで2品できました。あ~簡単!

2つとも前回紹介しました「カレーな薬膳」に載っています。




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わくわく広場と原発事故

  • 2011/08/12(金) 12:21:01

が家から自転車で5分程のところに「わくわく広場」という野菜の産直売りのお店があります。そこは安くて、そして産直とうたっているだけに新鮮な野菜が揃っています。朝採られたばかりのとうもろこしやたけのこが並ぶのですから、贅沢です。

↓ある日の買い物。
わくわく広場の野菜
奥のざるに入っているバジルは選別したらあのざる1杯分になりましたが、袋から出した時はボウル2杯分。これで100円。バジルぐらい自分で育てられるじゃんってお思いでしょうが、そして実際栽培していましたが、そこはデビル・フィンガー(悪魔の指)の持ち主なので、こんな量の収穫には至っていません。

右奥からさつまいも280円、枝豆200円、アスパラガス130円、オクラ100円。ブルーベリーはいただき物です。なすを載せるのを忘れましたが、5本入りで120円。この日の夕食は野菜の天ぷらでした。

食べ物ではないけれど、ほおずきもバラで6個入ったものが80円かそれぐらい。ほおずきは子供たちが揉んで揉んでフニャフニャにしたものを上手に皮だけ取って、それでブーブー鳴らすおもちゃにします。


くわく広場はとにかく安いのです。もともとこの辺りは普通のス―パーに行っても都会に比べると安いなあと感じますが、その地元スーパーよりも2~3割ほど安いのです。

千葉県は農業県でもあり、その恩恵を存分に受けている感じです。野菜のみならず果物も旬のものが並び、今はスイカや瓜が多く並んでいます。トウモロコシもおいしいよ! モロヘイヤも袋一杯に詰められて100円でしたね~。みょうがも形は不揃いですが、10個ぐらい入ってやはり100円。きゅうりも申し訳ないほどのお値段。

たまに今回のバジルのように、普段置いてあるわけではないけれど、その時にたくさん収穫できたものが突如出現するものがあります。春先にはよもぎが1袋60円でした。道端のよもぎは犬で汚されている気がして「う~ん」と思っていたところだったので、「こんなものまで売られるんだ!」と飛びついて、子供たちとよもぎ団子を作りました。夏先には赤紫蘇が出ます。梅干しに使うのでしょうが、赤紫蘇ジュースもおいしそうですよね。

我が家の周りは農家(兼業だったり、趣味的なものだったり形態は様々)が多く、その畑を眺めていると「今はこの季節なのね~」と感じているものが、わくわく広場には並べられていて、本当に食生活と季節が密着していることを感じます。

わくわく広場でもう1つ気に入っている点は、有機農法だとかで頑張っている生産者のものが多く揃えられていることです。お米も合鴨農法で育てられたものが売られているんですよ。卵も放し飼いの鶏のものがあります。


のように書いてきて、返す返すも残念なことは福島原発の事故です。一時期は千葉県でも北部を産地とするほうれん草などから放射性物質が検出されて出荷停止になったこともありました。その後は検出されなくなり、今に至っていますが、やはり「検出はされない程度だろうけれど、影響がないはずがない」という思いは拭い切れず、どうしたものだかと悩みました。新鮮でおいしい地場のものを普通に食べることをできなくする原発事故って!!!

幸いなことに最近は、政府・民間の調査結果が詳細に公開されるようになりました(それらをどのように取捨選択するかという難問はあるものの)。私は以下のサイトなどを参考にして、この近辺の野菜は問題ないと判断するに至りました。
千葉県産農産物の放射能モニタリング検査結果

9日には千葉県多古町でお米の放射性物質の検査が行われました。収穫前の予備検査で、とりあえず「不検出」。
YOMIURI ONLINE の記事「コメ農家一安心 多古『不検出』」

多古町は千葉県でも北寄りに位置し、千葉県内での米どころでありますし、また自然農法などに取り組んでいる農家の方が多い地域で、実は私も気になっていたのです。

私もひとまずほっとしましたが、農家の方たちが一番胸をなで下ろされたことでしょうね。自分たちが一生懸命丹誠込めて作った作物が、空から降ってくる放射性物質に汚染されるという不可抗力でだめにされるなんて、どんなにか無念なことでしょう。

心に何のわだかまりを持たないで、おいしく全ての作物を感謝しながら戴ける日が早く来ますように。





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亡き父とのその後

  • 2011/08/17(水) 23:43:22

盆が終わりました。去年の10月末に父を亡くした私たちにとっては新盆でした。自分たちも親戚周りは例年通りしなくてはならないし、でもお客様も迎えなくちゃいけないしで、結構ハードなお盆期間でした。

お盆期間中には亡くなった人たちが帰ってくると言われていて、我が父もそうなのかと初めて馬と牛の人形を作って待ちましたが、ところが、我が家ではまだ納骨が済んでおらず、父の骨壺は仏壇に置いてあり、そういう場合って帰ってくるとかお迎えという状況ではないんだそうです。常にそこら辺にいるってこと? ちなみに、納骨は1周忌の時に行う予定にしています。


もね、実は不思議なことがあったんです。
12日の夜中、正確に言うと13日に日付が変わった0:15頃のことでした。私は実家の台所で洗い物をしていました。その時に私の背後で足音が3歩分はっきりと聞こえたんです。既に寝ていた母が私の洗い物の音で目覚めて台所にまで様子を見に来たんだと、私は思いました。その時は振り向かなかったんだけど、その起きてきたと思った母が全然声をかけてこないので、3分後ぐらいに母の様子を寝室に見に行きました。母は天下太平に熟睡していました。3分ほど前に起きてきた状態ではありません。

いや、でも私はちゃんと足音聞いたよ!!
寝室の手前にある仏間の戸が少し開いていましたけど、私はそこを覗く勇気がありませんでした。

翌朝その話を母にしました。母は「お父さんだわ」と言います。でも、父の足音にしては小さいというか、少なくとも私の記憶にある父の足音ではなかったんです。母はそれでも「お父さんも最後は弱々しいというか優しい歩き方をしていたもの」と言います。

私を訪ねてきてくれるとすると、私を溺愛してくれた祖母も候補になりますが、う~ん、この祖母の足音とも違うんですね。一体誰だったんでしょうか。


う1つ不思議な体験を実はしています。
私は普段はというかこれまではこういった経験は皆無でした。誰かが亡くなった時に「ちょうど亡くなった頃私の前に現れてね」なんて話が通夜の席などでたまに聞かれますが、私はいつも「ふ~ん」と聞く側でした。霊感なんてものは全く無関係だと思っていました。

その不思議体験は、父の四十九日の時でした。
四十九日は平たく言えばこっちの世界からあの世へ行ってしまう日で、それまでは死者の霊魂はまだこちら側でさまよっているようです。残された者からすると、亡き父はまだ近くにいて四十九日を終えるといよいよ本当にお別れだという気持ちになります。

その四十九日の当日になったばかりの夜中でした。法要はお坊様の事情などでその前の週末に終えていましたので、本当の四十九日には千葉の自宅に私は戻っていました。

父が「おい」ってはっきりと私を呼んだんです。寝ていた私は思わず「お父さんっ?!」って飛び起きました。でも何も見えないし、その後は何も聞こえませんでした。となりで夫も熟睡しています。

でもあの声は本当にお父さんだった。あっちの世界に行ってしまう前に最後に来てくれたんだと思いました。泣きながらもう一度布団に入り、「お父さんのバカバカ。お母さんを一人残して!」って頭の中で叫んでいたら、そうしたらば、「おまえとK(弟の名前)がいる」と父が答えるのです。

「それにしたってこんなの私は認められないよ!」って怒ったら、「おまえは俺の娘だ」と一言。

「じゃあ、子供たちはどうなるのよ。じいじを大好きだった太郎は?」 「あいつは賢い」

「一番心配していた次郎は? ちゃんと成長を見届けなければいけない次郎は?!」 
「・・・(無言)」

父との会話はこれで終わりました。なぜかこれ以降は続きませんでした。


部私の頭の中での会話(交信?)で、私が勝手に作り出した話とも言えるのでしょうが、私自身では自分で何かを考えていたというより、本当に父の心を感じていたのです。

父の言葉全てが短く象徴的であることも、向こうの世界に行ってしまわなければならない父の時間のなさを示しているように思えたのです。

父が無言でしか答えられなかった次男の次郎のこと。
ハンディキャップを背負って生まれてきた彼を父は本当に心配していました。次男を愛する人全ては、彼を大いに愛し、同時に彼がこれから体験するであろう決して楽しいことばかりでない将来を案じていますが、その案じ方にもいろいろあるようです。

私たち夫婦や母、夫の母もこちらの側だと思いますが、あるがままを受け入れ、苦難は勿論あるだろうけれど、それらをどのようにして一緒に乗り越えていくか、もしくは次男が自分で乗り越えられる力をどのように彼につけてあげられるだろうかと思案するタイプ。

父はといえば、まず彼のその生い立ちをとにもかくも可哀想と感じてしまうようです。弟のところに次郎と同じ年の女の子がいて、父はそのいとこ同士(父にとっては二人とも孫)を一緒に連れて歩くと、次男の不憫さが際だつので一緒に連れて歩くことがつらいと母に漏らしたことがあったそうです。

「何をそんなセンチメンタルなことを言っているの! そんな感傷で次郎は育てられないよ!」と私は当時憤慨しましたが、それが父なりの優しさであり案じ方だったのでしょう。次男の病気は骨がなかなか伸びないものなので、父は「この足の骨を次郎にあげることができたらなあ」と何度話していたことでしょう。

そんな父でしたので、こと次男に関しては答えようがなく、長男と同じように賢い(あるいは彼以上かもしれない)次男を自慢に思いつつも、それ故ますます不憫さと心配が募って無言になったのだと思います。

そんなこんなを考え合わせると、私は本当に父と会話できたんだと思ってしまうわけです。

母はといえば・・・。その日は弟は事務手続きなどで母と新潟にいました。
「お骨もあるし、私もK(弟)もいる新潟に出てこないで、どうして遠い千葉に行くわけ?」と母は怒っていました。ホント、なぜでしょうねぇ。

追記です(8/18)。
実はこの出来事の数時間後に、長男が父に起こされているんです。「おい、もう起きろ」ってじいじに言われたんですって。長男ははっと目が覚めたけど、誰もいなかった・・・って。


年は震災で本当に多くの命が失われました。そして残された多くの方々が私たち家族と同じように、もしくはそれ以上にもっと切実に、逝ってしまった愛する人たちとの再会をどのような形であれ切望していたのだろうと想像すると、胸が苦しくなります。皆様に時間がかかっても、少しずつでもいいので心の平安が訪れますようにと、心の底からお祈りしています。

本当に多くの方たちにとって特別なお盆となりました。



2011年の夏休み

  • 2011/08/19(金) 13:27:22

うやく夏休みも後半となりました(溜め息)。

夏休み中の過ごす場所は、ほとんどずっと自宅。楽ちんだけど、でもやっぱりつまんな~い!夫の実家のある長崎へ行く予定にはしていたのですが、向こうのお母さんの具合が悪く、だからこそ私は行きたいと願っていたものの、お母さんは「今来てもらっても孫たちに何もできないから」と言います。折りをみて夫がひとりで行くことになりました。

11日~17日に新潟へ行っていました。弟の息子も来ていて、男の子3人でずーーーーっとベイブレード三昧。丸々3日間はしていたんではなかろうか。親の方は来客対応などで忙しく、2階で子供だけで遊んでくれるのは楽ではあるのだけれど。弟たちが東京に戻る日、「僕ね、右腕が痛いんだよね」と甥っ子が言いまして、それってベイブレードをし過ぎての筋肉痛だという結論に。そんなになるまで存分に遊べて良かったね~(呆れてます)。

昨日、新潟から千葉に戻ってきました。夫が1日休みを取ってくれ、東京で待ち合わせをして、みんなで上野動物園に行ってきました。お目当てはパンダ! 2頭とも可愛いとは言えるけれど、人間慣れしているというか、ちゃんと自分たちのポジションを心得ているというか、フォトジェニックなポーズ満載でした(の割りに、自分たちはカメラを忘れて撮影していない間抜けなマモ一家)。


年の夏休みには箱膳で勉強する子供たちの写真を載せていたような。あ、これ「夏休み終了。マモ家の夏の1日」ですね。

今年の夏はそろばん塾で昔使われていたような長机を購入↓。
勉強中 2011年夏休み

↓寺子屋みたいに勉強しています。
そろばん塾机

↓子供たちの頭は猛暑対策スタイルでございます。
髪型 夏バージョン
いや、このようにって具体的には言わず、「夏なのですっきりお願いします」と伝えたところ、ソフトモヒカンになっていました。ちょっとヤンキーがかってない?って思ったけど、まあいいか。

長男は(親バカだけど)ベッカム風に見えなくもない。うん、似合っているよ、よしよし。でも次男は・・・、眼鏡をかけているせいか(この写真ではかけていませんが)チベット僧に見えるんだよね。あるいは、収容所に入れられている囚人とか・・・。兄弟でも持っている雰囲気って既に異なるんだなあと妙に実感しました。

次男のおでこの右側が少し膨らんで見えるのは、2年ぐらい前に作ったこぶの名残です。ジャスコの床でステーンと見事に転び、みるみるこぶがピンポン球大に膨らみ、あまり物事に動じない私もさすがに慌てまして、診察時間外の病院に連絡してレントゲンを撮ってもらいました。ハゲちょびんにしてもらったら懐かしのこぶの名残が登場して、ちょっとびっくり。

↓ちなみに、以前のスタイルはこんな感じ。ちゃんと髪の毛伸びるんだろうかと心配になってきました。
髪型 ビフォア


道料金の請求書も届いていましたわ、そういえば。
だいたい3,000円後半からせいぜい6,000円ぐらい(2ヶ月分)だった料金が、なんと今月は8,000円近く。まあ電気代と相殺でしょう。我が家の電気代は夏に底を打つという珍しい曲線を描きます。先月の7月分は6,000円を切りました。

↓水道代高騰の原因。毎日庭で水(泥)遊びです。
泥遊びをする子供たち

何が楽しいのか、親が黙っていると1時間でもこうして泥だらけになって遊んでいます。ついでに植物たちへの水やりもお願いするのですが、5分もすると水やりはそっちのけで、またまた別な遊びをしている子供たち。ま、しょうがないですね。


由研究も作文もまだま残っているんだぞ、K太郎よ。普段の勉強は母親である私が見ていますが、大きいものは夫の担当。この週末で1つぐらい片付くといいんだけどな。

作文は読書感想文か夏休みの出来事が課題となっていて、一応課題図書なるものも読みましたが、長男は左手の中指を6針も縫ったことが衝撃的な経験だったようで(お盆前にカッターでザクッとね)、それを作文にするのだそうです。あっそ。

近所の男の子以上に男の子らしく遊んでいたこの母でさえも6針縫うような怪我をしたことはなかったので、ま、頑張って記録に残しておいてくれたまえ。

残りの夏休みを無事過ごせますように。




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秋の気配

  • 2011/08/26(金) 09:52:06

房総の地では日中はまだまだ暑い日が続きますが、秋の気配も日ごとに濃くなっていっています。

まずはツクツクボウシの鳴き声がよく聞かれること。朝からツクツクボウシが鳴いているのを耳にすると、「あ~、秋が近付いているんだなあ」と感じます。

夜にはコオロギなどの声が開いている窓から静かに入ってきます。カエルの鳴き声がうるさいなあと思っていたら、いつの間にか秋の虫に入れ替わっていました。

そして、周辺では目下、稲刈りに皆さんが忙しくしています。毎日朝から稲刈り機のエンジン音が響いてます。青々としていた田んぼも、これまたいつの間にか黄金色になっていましたしね。

現在台風が2つも日本を目指しています。残暑はどんな具合になるのでしょうか。





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旧友と会い、昔を懐かしむ。

  • 2011/08/27(土) 00:32:04

21日(日)に旧友2人が訪ねてきてくれました。大学卒業後5年間お世話になった外資系銀行の同僚です。いわば、「青春の友」であります。

タイトルに「語らい」と記しましたが、女3人が集まれば・・・と容易に想像できるように、「語らい」というよりは「しゃべり倒し」というのが実情でしょうか。11:30に我が家に到着し、その後場所も変えて、解散は22:00過ぎという半日近い「しゃべり倒し」でした(苦笑)。

えぇ、夫は早々に退散モードで、彼女たちが着くなり子供たちを連れて外出してくれました。たまたま地元の子供会のボウリング大会があったので助かりました。午後3時過ぎに夫と子供たちは帰宅し、その後みんなでおしゃべりしていましたが、5時過ぎにふと思い立ち、「すみません、これから女3人で外食に出掛けていいですか?」と夫に対して疑問形ながらも宣告に等しい物言い。夫は一瞬びっくりしながらも「いいよ」と言ってくれました。で、女3人は千葉そごうまで出掛けて、ベトナム料理を味わいながら閉店までいたのでした。

友人たちは一人はまだ現役で外資系銀行で働いているキャリアウーマン、もう一人はロンドンで日本人の夫と子供たち2人で暮らしている主婦です。そして私は千葉の田舎の主婦。2~3年に一度ぐらいしか揃って会えないのだけれど、いつも話題は尽きることなく、そして本音丸出しで話ができることが本当に楽しいです。

青春の友であるので、銀行員時代の話題は恋愛話がメインだったなあ。友人2人のうちA子が結婚を決めた時に、イタリアンレストランで突然「私、結婚することにしたの」と告白しながらぼろぼろと涙を流したこともありました。その涙が決して嬉し涙には見えなかったことなど(その時既にロンドンでの暮らしがほぼ既定路線だったので、彼女は不安に感じていたのでした)を、前回会った時に思い出話として語ったら、「え~、そんなこと覚えているの?」とA子本人も薄い記憶になっていたので、驚いてみたり。

かと思うと、もう一人の友人B子は、ちょっとハンサムくんの(ごめんなさいね、親ばかで。でも実際そう言われることが度々で)、そして性格は母親に似ている長男を見て、「うわ~、あなたに似ているんだったら、この子が大きくなった時、女に刃物で刺されるとかの事件が起きなければいいけどね~」と物騒なこと言うし。

えっ?! 私って当時恋愛関係で何かそんな問題を起こしていましたか? 刃傷沙汰になるようなことはしていないはずでしたが?

B子曰く、傍から見るとどうもそうではなかったようで、まあ刃傷沙汰のほどではなくとも、ちょっとハラハラするようなこともあったらしい。当時からかなりKYな人間だった私なので、私自身は「ちゃんとけじめつけているよ」と思いながらも、実は相手の気持ちを踏みにじっていたのかもしれません。うっ、過去の人たち、ごめんなさい。

息子よ、将来はどうかちょっとぐらいモテるからといい気にならないでくれたまえ。・・・と同時に「全くもてない人生を送るよりマシじゃん」と呟く不遜な私がいる・・・。


近は彼女たちのような古い友人たちと久しぶりに会ったり、語らったりする機会が増え、数ヶ月おきにしゃべり倒しています。昔の、つまりは素に近い私を知っている人間とは、結構毒のある発言をしたりしても「お前らしいな」「○○ちゃんらしいね」って受け止めてもらえるし、また友人たちは頭の良い人ばかりなので話の展開が面白くて、時間があっという間に過ぎてしまいます。

5月には大学時代にドイツへ語学留学した時に知り合った男の子(つまりは20数年来の友人ということ!)と会いました。彼も既に40なので「男の子」というよりは「男性」だけど、お互い当時のままのつもりでいることが恐ろしい。彼にはドイツ語の勉強方法や、ドイツ語を使っての仕事の展望などを聞くために会ったんだけど、某省のキャリア官僚である彼から仕事の話などを聞き、いつもながら刺激を受ける大切な友人です。

その彼は去年スウェーデンに行き、やはり同じ語学学校で仲良くなったスウェーデン人の男の子(ま、彼も今は「男性」ですね)と20年ぶりぐらいに再会を果たしたのでした。ドイツの語学学校では、官僚君とスウェーデン君と私は他の人たちも交えて毎日つるんでおりました。たった2ヶ月間の仲間だったんだけど、この2人はその後の私の人生の選択に大きな影響を与えてくれ、なんだかんだと繋がっていたんですね。

そして去年男同士が再会した時に、私に電話をくれました。ドイツ語仲間だったのに、英語で会話を交わす3人・・・。ま、使う言語は変われど、一気に昔に戻りました。「私のこれからはどうなるのだろう?」と期待感よりは不安感・閉塞感の方が強かった当時。そして彼らとの付き合いで外の世界への憧れや興味がより一層強まり、その後の私の行き先は決定付けられたのでした。ホント、がむしゃらだったなあ、あの頃は。

・・・で、その後何とか新潟の田舎者がドイツの銀行の東京支店に入社でき、友人A子やB子たちとなかなかにきらびやかな青春を過ごし(当時はまだバブルの残照の頃)、「いやいや、私はやっぱり当初の目的を達成するまでは結婚できない!」と気付いて、ドイツで働く道を選択したのでした。そして彼の地で夫と出会い今の私に至る・・・と。


月にはなんとこれまた20年ぶりぐらいに高校の同級生たちと再会します。男子2人に女子2人(私を入れて)というメンバーです。去年の秋に東京で同窓会が開かれたところ、私は末期癌を抱えた父のこともあり参加できなかったのですが、残りの3人は20ウン年ぶりの再会を果たしたという次第。

高校はこれでまた懐かしい時代であります。大学に入るまで自分を「女」として意識したことがほとんどなかったということもあり、友達は男子の方が多かった私。でも、本当に見事に友達付き合いだけで・・・。あとから実はみんなちゃっかりいっぱしの経験をしていたことが判明し、「いつの間に~?!」とショックを受けたり、「やっぱり私ってそういう恋愛対象にはならなかったんだ・・・」と悲しくなってみたり・・・。ま、その後男みたいだった私にもモテ期が到来し、高校時代のそれはそれで楽しい思い出となったから良かった~。

去年の同窓会でのネットアルバムを見ていたら、今度会うA男を認識できなかった私。だって、すらっとして精悍だったA男がぼてっとしていたんだよ~。「A男も出席していたんだから、写真に写っていないはずがない」ともう一度見直して、こいつかい?という人物の胸の名札を拡大してようやく分かったという次第。

この顛末をメールで送ったので、「お前だって同じようなものじゃないか! 会ってすぐにわかんなかったぞ!」とA男から言い返されないようにと、アンチエイジング・ケアに1ヶ月前から励んでいます。そうでなくとも、もう一人の女子は現在某航空会社のフライト・アテンダントで、高校時代はその容姿でみんなのマドンナ的存在。もともと同じ土俵に上がってるつもりもありませんが、せめてもの心がけとしてお手入れをしなくてはね。

その華やかに暮らしているように思えていたマドンナさんが、最近過去世を知ったというメールをくれました。人生の折り返し地点にさしかかり、「私の人生ってこれでいいのだろうか?」「何のために生まれてきたのだろうか?」という問いに答えを見つけられず、行き着いた先が催眠療法だったそうです。みんなそれぞれ悩みを抱えつつ生きてきているんだね。おもしろいよ~。


人になってからの知人友人とのお付き合いでは、常識というか若干の遠慮が求められますよね。でも古い友人との間では、昔と同じような無茶ができたり、取り繕わなくて済みます。それが解放感をもたらしてくれるんでしょう。

子供たちを夫に託して出掛けられるようになったこの頃で、しかも人生の折り返し地点でいろいろ考えてしまうことも度々。そんな時期に解放感を与えてくれる一方で、各人がこれまでしてきた経験などを聞くと、自分への指針になることもあり、様々な気付きを促してくれます。ホントありがたい存在だと感じるんです、最近とみに。

こんな私と友達付き合いしてくれてありがとう。そしてみんなの幸せと健康を心から祈っています。





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